聖霊中学・高等学校
校長先生からのメッセージ
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第66回 創立記念式典 式辞 「試練を乗り越えて」

skinen7.JPG  久しぶりに、恵みの雨が聖霊の山々を潤す今日、聖霊中学・高等学校は第66回の創立記念日を迎えることになりました。この記念式典に名古屋教区の松浦司教様と瀬戸教会のビン神父様をはじめ 大勢の来賓のご列席をいただき、教職員と在校生と共にお祝い出来ますことを、心から喜び感謝申し上げます。

  

  

今年は戦後70年になります。1945年の終戦からこの70年間、日本は平和でした。しかし、名古屋聖霊学園の存続が、終戦から5年後の1950年に、隣の国で起こった朝鮮戦争のため危うくなったことがあったことを皆さんは知っているでしょうか。

  

名古屋聖霊中学高等学校は、 1949年に名古屋城の近くの三の丸で創立されました。しかし、聖霊の校舎は、はじめから学校として建てられた建物ではありませんでした。最初の校舎はどういう建物だったかわかりますか。まず、何枚かの写真をみせます。

  

広場で整列している軍隊はわかりますか。これは野砲兵第三連隊、つまり、日本軍が使っていた駐屯地の写真です。うしろに現在の名古屋市役所が見えます。この写真に写っている駐屯地から多くの兵隊たちは、日清戦争、日露戦争、そして第二次世界大戦終結まで激戦地に出兵されました。

  

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次の写真を見てください。この写真は、聖霊中高の体育祭の様子です。スカートで、体育祭に参加している姿にも驚くかも知れませんが、後ろの方に注目してください。先ほどの写真に写っていた、名古屋市役所の塔が見えますね。校舎の壁は白く塗り替えられていますが、聖霊の校舎はもともと旧日本軍の兵舎だったのです。聖霊会のシスターたちは戦後、アメリカ進駐軍が管理していた旧日本軍の兵舎を借りて、内部を教室などにして最初の校舎として使用しました。

  

しかし、この三の丸の兵舎を改装しできた聖霊中学校は、創立して2年を待たずして、大きな、大きな危機を迎えます。

  

1950年に激しくなった朝鮮戦争の戦場の負傷者は、ヘリコプターで名古屋にも運ばれました。聖霊学園の近くが、米軍の病院であったので、校舎まで負傷兵のうめき声が聞こえたそうです。そして、アメリカ兵の宿舎が足りなくなりました。そのため、突然、アメリカ軍は、聖霊の校舎を米軍に返すようにという命令を出しました。

  

戦争に負けた日本にとって、当時のアメリカ占領軍の命令は絶対的でした。初代校長のシスターマルチンヒルデは、全校生徒たちにこのことを伝え、米軍がこの立ち退き命令を取り下げるように祈ることを呼びかけました。そして、先生も生徒も心を一つにして、放課後、9日間ロザリオの祈りをこのマリア様のご像の前で毎日捧げました。(このご像が校長室においてあります。)

 

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一方、シスターマルチンヒルデは、東京の占領軍の本部・GHQに、最高司令官だったマッカーサー元帥のもとへ、直接にお願いに行きました。皆さんは想像ができないかも知れませんが、その頃のマッカーサー元帥は、昭和天皇よりも総理大臣よりも権力を持っていた人です。そんな人のところに、何の紹介状もなく、突然に乗り込んでいった校長先生は、きっと学校を救うためならば、自分はどうなってもいいと必死の思いだったのでしょう。

  

しかし、マッカーサー元帥は朝鮮に視察に行っていて会うことが出来ませんでした。シスターはマッカーサー元帥あての手紙を書いて、秘書役のホイットニー副官に、元帥に必ず手渡すように頼んで名古屋に帰りました。その手紙には、「私たちの仕事は商売ではありません。私たちは教育をしているのです。この生徒たちを中学の卒業まで教育すると引き受けたのですから、今、やめるわけには 行かないのです。」と率直に書きました。

  

数週間後、マッカーサー元帥から自筆のサイン入りの手紙がシスターマルチンヒルデあてに届きました。それには、「あなたの手紙を読んだ。あなたの希望に添うようにする」と書かれていました。校長先生の手紙が最高司令官マッカーサー元帥の心を動かして学校を救ったのです。

  

聖霊中学校は創立当時、生徒たちの真剣な祈りとシスターマルチンヒルデの勇気と決心のお蔭で、大変な試練を乗り越え、守られて、今まで成長してきたのです。この学校を築き上げてくださった聖霊会のシスター、旧教職員、諸先輩の方々に感謝しながら、さらに良い伝統のある聖霊中学・高等学校にしていくという思いを切にこめて、私の式辞といたします。