聖霊中学・高等学校
校長先生からのメッセージ
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聖霊時報147号 「私たちと共にいる神」

 その昔、私は教会に付属する小学校と中学校に通っていました。五年生のときから、友達と毎日の授業が始まる前に教会でミサにあずかりました。ですから、学生時代には、旧約と新約聖書の朗読を数え切れないほど聞きました。その中で私が最も好きで、印象深い箇所がマタイ福音書の最後にある「神は世の終わりまであなたたちと共にいる」という一節(二十八章二十節)です。経済的に不安定な母子家庭で育った少年期、思春期特有のさまざまな葛藤に戸惑ったとき、また大人になってから、まったく知らない日本とフィリピンという異国の地に宣教師として派遣されたときにも、この箇所が私の大きな慰めと力となりました。この一節は、たとえ他の人に見捨てられ一人ぼっちになっても、挫折に直面しても、私はいつでもそばにいる神様に見守られて、支えられているという、私の信仰の礎となってゆきました。

 イエス・キリストは、私たちから遠く離れた、近寄りがたくて怖い存在ではありません。クリスマスの降誕で人間として生まれ、私たちに近い、人間と共に生きる神になりました。新約聖書には、赤子のイエスが母マリアにあやされている場面も、大工のヨセフの息子として育ったイエスが勉強して、神殿で先生たちと語り合った場面も描かれています。弟子たちと釣った魚を食べたり、宴会をともにしたりもしました。病人を慰めて癒し、友人の葬儀では涙を流しました。苦しみながら、自分の死にも直面しました。人間となった三十三年間の人生の中で、人間として、人間と共に、いろいろな経験をしたのです。そのため、神は私たち人間の喜びや悲しみ、希望や不安などがよくおわかりになります。


 マタイ福音書の最後以外にも「神が共にいる」という節は、二箇所あります。一箇所は、イエスの別名インマヌエルという名前の意味を説明した「この名は『神は我々と共におられる』という意味である。」(一章二十三節)という箇所です。もう一箇所は、祈りの場について述べた「二、三人が私の名によって集まるところには、私はその中にいる。」(十八章二十節)という箇所です。


 マタイ福音書に繰り返し書かれている、神が共にいるという概念はキリスト教の重要な教えの一つです。何があっても、神様は私たちと共にいる、私たちのそばで支えてくださるのです。