聖霊中学・高等学校
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聖霊時報148号 「校歌に込められた思い」

 聖霊中学・高等学校の校歌を作詞したのは、『万葉集』などの研究で知られる国文学者の三条西公正氏です。この校歌が発表された昭和二十年、日本は太平洋戦争の戦時下にありました。三条西氏はこの校歌の原文を全部ひらがなで書いたそうです。キリスト教の布教は戦争によって、厳しい局面を迎えていました。カトリックの概念を強く打ち出した校歌が検閲されることを危惧したと、その意図を推測することができます。たとえば、歌詞の「みたま」という言葉は、当然、国を守って戦死した軍人の魂や英霊を指していると受け止められたでしょう。ひらがな表記にしたことで、「みたまのまもるまにまに」や「みくにのため」という歌詞は、当時の教育現場でめざされた皇国民の育成と合致して、高く評価されたに違いありません。

 戦後、この校歌には漢字表記がされるようになりました。「きよきみたま」は「聖きみ霊」とされ、「みたま」はキリスト教の神である「聖霊」のことであるとはっきり示されたのです。三条西氏が戦時中の日本で、キリスト教の大事な教義を校歌に込めただけでなく、ひらがなで発表したお蔭で、この校歌は現代まで歌い継がれ、色あせることなく聖霊中学・高等学校の教育理念を見事に打ち出しています。時代の移り変わりと共に、言葉の受け止め方は変遷していきますが、それを逆手にとったとも思える三条西氏の発想です。作詞者は言葉の天才だといっても過言ではありません。

 戦時下の日本では、国家の勝利を願いながら、多くの方々が「みくに」のために犠牲になりました。しかし、「主の祈り」を唱えている皆さんは、「みくに」が狭い意味の一つの国家ではなく、「神の御国」を表していると理解できるでしょう。神の「御国」とは、国境も政府もない、どこまでも広がっている善と正義と喜びに基づいた「愛の支配」のことです。神の国には一つの国民または民族が生活しているのではなく、すべての人々が差別なく尊敬しあって生活しています。聖パウロはローマの信徒への手紙十四章十七節で「神の国は聖霊によって与えられる正義と平和と喜びなのです」とはっきり書いています。聖マタイ福音書十三章でもイエスはいくつかのたとえ話をもって「天の国」について教えています。「天の国」とは、死後の天国ではなく、この世にある「神の御国」の別名です。ここでは「天の国」がからし種にたとえられています。小さなからし種が成長すると、鳥がその枝に巣を作って小鳥を安全に育てることができるように、「天の国」ではすべての人々が支えられ、守られ、安心して暮らすことができるとのべられています。

 すべての人々が神の国のような社会で安心して暮らせるような平和な時代になりますように。また、聖霊の生徒たちがその社会の実現のために活躍してくれることを願っています。